2018年11月15日(木)、早朝にメールが入った。
「新聞のお悔やみ欄にAさんの名前がある」というもの。
聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
鳴門で手話・ろう者をずっとずっと優しい笑顔で、けん引してきたAさん。
手話奉仕員講習会で彼女が講師補助をしていたことが、私がサークル入会の理由。
「こんなふうに、ろう者と話せたらいいな」
「こんな人になりたい」
憧れの存在でした。
サークルに入会してから、私がうまくできなくて苦しんでいたら
「はじめは誰でもそう。あせらないで」
「あなたなら大丈夫。がんばって」
優しく声をかけてくれました。
その声が励みでした。
彼女が入院をしてサークルに来れなくなり、
彼女がやっていたボランティア活動をいくつか引き受けました。
引き受けたもののうまくできないで悩んでいる私を
「大丈夫よ。あなたの色(いろ)でやればいい」
そう励ましてくれました。
病状がよくないと知っていても、
彼女の声を聞きたくて、
でも心配をかけたくなくて、
サークルの楽しい出来事をメールで知らせると
「いっぱい無理を言って押し付けて、ごめんなさいね」
と返信がくるようになりました。
そして今年になると
「あなたには感謝しかない」
と返信がくるようなりました。
別れが近づいていることが伝わってきて
受け取るたびに胸が痛くなっていました。
最後のメールは
「感謝しています。本当にありがとう」でした。
私こそ、あなたに感謝しかありません。
本当にありがとうございました。
まだまだ足元にも及びませんが、これからも見守っていてください。
お悔やみ申し上げます。